サマプロ研修中の魅力的な人物写真10選

写真を眺めていると、環境や心情って顔に出るんだなあって思うよね。 こんにちは!広報部の山崎です。 悲喜こもごものサマプロから2日後。私は都内某所で実施されている、サマプロの事後研修、その名も大リフレクション大会に来ていました。

中学が大嫌いだった私が中学校教員を志すことを決めた理由

こうして皆さんに向けて文章を書いている私、現在Learning for All(以下LFA)の広報部に所属しております山崎未来と申します。ご縁がありまして、今回はこうして皆様の目に触れる文章を書く機会を頂いたので、僭越ながら最近私の身に起こった出来事を紹介したいと思います。教員という職業に関心のある方向けの要素が強いですが、せっかくここまで目を通してもらえたのであれば、最後までお付き合い頂ければと。

子どもの可能性を信じることを忘れてはならない。―教師体験談 中川愛

今回の活動日誌は、2012年秋季寺子屋くらぶの葛飾拠点に寺子屋教師として参加し、冬季寺子屋くらぶにも再採用教師として参加される中川愛さんをご紹介します。秋季の寺子屋での学びやご自身の成長、子どもへの思いを語って頂きました。

Facebook投稿用ボツ写真で遊んでみた

みなさまこんにちは!Learning for All広報部の山本です。現在LFAでは、Learning for Allサマープログラムのエントリー締め切りが間近にせまっていることを受けて、facebookページでこのようなカウントダウンを行っています。

どこよりもアツい夏!LEARNING FOR ALLサマープログラム実施のお知らせ

海だ花火だ夏フェスだ! 夏ですね!暑い暑い。電車に乗っていてもTVを観ていても、「夏だから~」みたいな広告、CMをよく見かけて、夏ってやっぱり特別な季節なんだなあってことを感じます。広報部の山崎です。このブログの読者の方は大半が大学生なのかな?と個人的には感じているのですが、大学生の夏休みと言ったら、もう、何でもできそうな感じがすごい。気になるあの娘を花火に誘ったり、サークルでBBQに行ったり(リア充!)、何をしようか、めくるめく夏休みを満喫している方も多いのではないでしょうか。

2013年7月17日水曜日

Facebook投稿用ボツ写真で遊んでみた

みなさまこんにちは!Learning for All広報部の山本です。


現在LFAでは、Learning for Allサマープログラムのエントリー締め切りが間近にせまっていることを受けて、facebookページでこのようなカウントダウンを行っています。



※ちなみにfacebookページはこちら



このカウントダウンを撮った際、大量のボツ写真が発生してしまいまして。
お蔵入りにするのももったいないので少々放流しようと思います。



2013年7月16日火曜日

中学が大嫌いだった私が中学校教員を志すことを決めた理由

こんにちは!もしくはこんばんは!最近いよいよ高気圧が本気をだしてきましたね!固形物がなかなか喉を通りません。

こうして皆さんに向けて文章を書いている私、現在Learning for All(以下LFA)の広報部に所属しております山崎未来と申します。ご縁がありまして、今回はこうして皆様の目に触れる文章を書く機会を頂いたので、僭越ながら最近私の身に起こった出来事を紹介したいと思います。教員という職業に関心のある方向けの要素が強いですが、せっかくここまで目を通してもらえたのであれば、最後までお付き合い頂ければと。


まずは自己紹介から。現在は広報スタッフとして活動しておりますが、昨年北区という拠点でのサマープログラムに参加して以降、江東区東雲という拠点に移り、今年の3月まで教師を続けておりました。現在のスタッフの中でも、教師歴は長い方に属すのではないでしょうか。(LFAのスタッフは全員が教師を経験しています。)

 ハマってしまって結局半年以上も教師をやっていたわけですが、これ、今までの人生でも1,2を争うくらいに大変でしんどくて、そしてやりがいのあった経験で。私は小学6年生の男の子3(ものすごく元気でやんちゃ!笑)に算数を教えていたのですが、学習内容は定着させられない、それどころか子どもを傷つけてしまったこともあって、自分を責めてしまったことが何度もありました。しかし、それ以上に素晴らしい経験だったと思っているため、現在はこうしてスタッフとしてブログを書いています。

そんなLFAには様々なバックグラウンドを持つ学生スタッフが在籍しています。起業を志す人、事業モデルに関心を抱いて参加している人、国内の教育格差に問題意識を感じて行動している人…。そして、教育系のNPOである以上、やはりといいますか、教員を目指している学生も一定数所属しています。何を隠そう私自身もこの一員でして、中学校の教員を志望しています。厳密には、先日のある出来事がきっかけで、目指すことを正式に決めました。このある出来事っていうのは?そう、それが教職課程の最大イベント、教育実習です。

私は現在4年生なのですが、教職履修者の多くは4年生の前期になると憂鬱になったり、そわそわしたりし始めます。え、なんで?この一大イベント、教育実習があるから。周りを見回した感じだと、「超楽しみ!早く行きたい!」と手放しで楽しみにしている友人はほぼいませんでした。これはおそらく私の周りに限らないのではないでしょうか。不安です。きちんと生徒とコミュニケーションがとれるか、教壇に立ってしっかりとした授業をできるか、不安で不安で仕方ない部分がどうしてもあると思います。

特に私は、この不安な面がとても強かった。なぜなら在学中、実習先である母校の中学が大嫌いだったからです。私の母校の市立中学校は、荒れていることで地域でも有名で、校内での問題は日常茶飯事、当時の先生方は常に何らかの問題の対処に追われているような状態でした。そのような中で、おとなしくて目立たない生徒だった当時の私は、「こんな場所早く抜け出したい。」と思いながら毎日学校に通っていて。そのため、高校も中学の同級生がほぼいない遠方の学校を選んで受験し、同級生と顔を合わせることになる成人式は自主欠席という徹底ぶり。卒業してからも、母校の中学校は遠ざかりたくて仕方がない存在でした。(今思い出すと傲慢だったなあ。。。と思う場面が多々あって、とても恥ずかしいのですが。。。)

そんな経歴を辿っておりますので、実習先がこの中学校に決まった際、「まじかよ!」というのが率直な感想でした。卒業して7年、もちろん自分が在籍していたことと状況は違うだろうし、LFAで子どもを教えた経験から対象となる生徒たちを一概に否定するような気持ちは湧きませんでしたが、あの学校できちんと先生として振る舞えるのか、不安は尽きませんでした。


そんな不安を抱えて始まった3週間の教育実習、2週目以降、私は毎日泣いていました。私たち実習生には専用の控室が与えられていて、空き時間や放課後はそこで作業をしていたのですが、同僚の実習生たちが先に帰る中、私はほぼ毎日一番最後まで残っていて。一人になると、書きかけの指導案を前に、声が漏れないようにコソコソ泣くんですね。

「あちゃーやっぱりキツかったのか。。。」と思ったそこのあなた!あなたが泣くのってどんなとき?辛いとき、悲しいときだけですか?指導教官から授業についての厳しーい評価をもらっては泣き、生徒の心情を考えた対応のできない自分のふがいなさに泣き、先輩の先生方に励まされては泣き、「先生みたいなかっこいい大人になりたい」と生徒に言われては泣き(そんなことを言ってくれた子が本当にいたの!)、私が毎日泣いていたのは、それだけ悔しかったことと嬉しかったことがあったから。悔しいのと嬉しいので、3週間で1年分くらいの感情を使ったと思う。それでも、「実習をやめたい」と思ったことは一度もありませんでした。生徒にとって有意義な授業ができない自分に苛立ったり、生徒に言われた一言が嬉しくて仕方がなかったり、それが涙と言う形で溢れた毎日でしたが、その中にマイナスの感情はひとつもなかったように思います。

LFAで教師をやった経験から学んだことは、数えきれないくらいあります。実習においてその経験は役に立ちすぎるくらいでした(ステマじゃないよ!)。指導案の書き方、子どもの褒め方、思考のフレームワーク、学んだことは本当にたくさんあるけど、1番は生徒と向き合う上でのメンタリティのような気がします。子どもを主語で考えること。子どもの可能性を信じること。これがLFAの教師経験から学んだ最も有益なことであり、実習で最も役に立ったことでした。 
 たとえば授業で英語の文法説明をしたとする。その説明に対して生徒が理解しきれていないような顔をしていたとします。その授業を振り返ったとき、あなたはどのように反省をしますか?私の場合は、「生徒は何を思ったのか?彼、彼女のwantは何だったのか?」をまず考えます。考えます、というより、LFAでの指導経験から、まずはそれを想像してしまう癖がついているんですね。

 この思考パターンは、実習生としての私の最大の強みで、他の実習生とは明らかに違った部分だと思います。もうひとつ、「どんな子でも適切な導き方をすれば必ずできるようになること」を常に念頭に授業をしていました。そして、生徒が思いがけずこちらの期待値を超えた行動を起こしてくれると本当に嬉しい。担当学級の生徒で普段は比較的学習意欲の低いある男の子が、私がクラス全体に発した質問に答えてくれて、さらに促すとそれをクラス全員に向けて発表してくれたときは、本当に嬉しくて、授業中にも関わらずまた泣きそうになりました。


また、実習に行くにあたり、私はひとつの目標を立てていました。それは、担当学級31名、one of themではない固有名詞としてのその子を見る」というもの。3週間であってもひとつのクラスの担当になれるのだから、全員の良いところを見つけて、それを3週間の間に本人に伝えようと思ったのです。これもLFAでの教師経験がなければ、考えもしなかったことだなあと今となっては思います。そして、その達成過程は想像していたよりはるかに楽しかった。指導教官に倣って、今日はこの子とこんな話をしたとか、この子のこんな良いところを見つけたとか、毎日ノートにまとめていたのですが、勤務時間が終わってからやるその作業が本当に楽しい。明日はどの子のどんな姿が見られるのだろうとわくわくしながら眠りについていました。
そして最終日には、その子の素敵なところ、3週間のうちに印象的だったその子との出来事を手紙に綴って、担当学級の生徒全員に渡したのですが、「え、この先生全員に書いてきたの?」というぽかんとした生徒たちの顔が、今でも忘れられません。「そりゃ3週間しかいないけど、君らのことは見てたからね!実習の先生なめるなよ!」という気持ちでした。

 私はしょせん実習生という身分だったので、目にしたことは現場の一部かもしれない。それでも、本人でも気づいていない可能性を秘めた生徒たちと過ごすこと、そしてその可能性を伸ばす教師という立場にいられることは何て素晴らしいのだろうと感じました。これは一生を捧げられる仕事だろうと。私が中学に在学していた当時の先生たちも、きっと必死で私たちを導こうとしてくれていたのだと思います。今までは不安要素が多くてどうしても決め切れずにいたのですが、今回の実習を経て、私は本格的に教員を目指すことを決心しました。そして、この決心をするまでの過程において、なくてはならなかったものがLFAでの教師経験です。

もしもあなたが教師を目指しているのであれば、今のうちから子どもの前に立つことは、間違いなく有意義な経験になります。そしてその経験の価値を最大化する環境、本気で子どもと向き合う環境がLFAにはあります。ステマではなく!

ふう。私の話ばかりずいぶん長々と語ってしまいました。ここまで読んでくださって、ありがとうございます。少しでも気になったら、LFAのホームページに飛んでくださったら、あわよくば説明会に参加してくださったらとても嬉しいです。スタッフ一同、あなたの夏休みに忘れられない経験を提供できればと思っております。最高の教師になれるように、私もがんばろう!それでは、今回はこの辺で!





(文:山崎未来)

子どもは変容する。だから彼らの可能性を信じ続けることを忘れてはならない。ー寺子屋教師体験談 中川愛(2012年秋季寺子屋教師@葛飾)

今回の活動日誌は、2012年秋季寺子屋くらぶの葛飾拠点に寺子屋教師として参加し、112日(土)から始まる冬季寺子屋くらぶにも再採用教師として参加される中川愛さんをご紹介します。秋季の寺子屋での学びやご自身の成長、子どもへの思いを語って頂きました。


[Profile]
名前:中川 愛
大学:国際基督教大学 教養学部 アーツ・サイエンス学科 学部2年生
年齢:19
所属:2012年秋季寺子屋くらぶ、2012年冬季寺子屋くらぶ
趣味:Canon 60Dで写真を撮ること






1Teach For Japan(以下、TFJ)のプログラム前の心境についてお尋ねします。
TFJに参加したきっかけを教えてください。

中川 TFJへの参加動機は2つあります。1つ目は、学外に出て他の大学生と共に活動し、新しいことにチャレンジしたいという思いがあったこと、2つ目は、教職課程を履修しておらず、教育がどのようなものであるかは書籍などからしか知り得なかったため、実際に教育現場へ飛び込み、現状を見てみたいという思いがあったからです。そもそも教育への関心が高まった理由としては、大学に通う中で、学校でしか受けられないと考えていた教育が、実は学校以外の身の回りにも溢れていると気が付いたことにあります。この身の回りに溢れている教育、つまり、勉強に限らず「人に何かを教える」ということはどういうことであり、どのような困難があるのかを身をもって体験したく、TFJに応募しました。

2.事前研修についてお尋ねします。
− 事前研修初日、どのようなお気持ちでしたか。


中川 何よりTFJの選考を通過し寺子屋教師として採用されたこと、TFJが自分を肯定的に受け入れてくれたことに対して喜びを感じていました。しかし、教育に関する予備知識がない状態で事前研修に臨んだため、寺子屋の支援の対象とする子どもの現状や境遇を知り、衝撃とショックを受けました。一方で、このような支援を必要としている子どもに、自分が思い描く教育を施すことができる立場にいるということが嬉しかったですし、早く子どもの顔を見たいという気持ちに駆られました。不安がなかったと言えば嘘になりますが、困難に出くわすことは覚悟の上で自分を試せることに胸が高まりました。

− 事前研修を通じてどのようなことを学びましたか。

中川 一番心に響いた研修内容は、リーダーシップに関するものです。高校時代の部活動や委員会においてリーダーの経験をしたことはありましたが、理想となるような目指すべき確固たるリーダー像は特にありませんでした。またこの研修を受ける前までは、自分はリーダーとしてよりも、リーダーを支えるサブリーダーが似合うと考えていました。しかし研修を受けて、チームの一人ひとりがパーソナルマスタリー(※)をもち、リーダーシップが発揮できるようにするのと同時に、メンバーが意欲的にビジョンに向かって行動するように働きかけることこそが、リーダーとしての役目であると学びました。つまり、特別な才能がある優秀な人だけがリーダーとなるのではなく、誰もがリーダーになることができるということです。これは、今まで曖昧であった自分の中のリーダー像を明確にする大きな発見でした。
※ パーソナルマスタリー
己を知り、自らの意思でそこに立ち、ビジョン実現のために行動すること



3.それでは、チームについてお尋ねします。
− 中川さんは葛飾の寺子屋でどのようなリーダーシップ・役割りを果たしたと感じていますか。

中川 指導初期の頃は、葛飾の中で指導経験が全くないというのが自分のみだったため、周りの寺子屋教師のことを、指導に対する悩みや不安がなく、何もかもできる人達だと感じ、圧倒されていました。しかし、指導を重ねる毎に、自分だけではなく周りの寺子屋教師も似たような不安をもっていたり、実は他の寺子屋教師からの情報共有を欲していたりすることに気が付いたのです。そこで、指導経験がない立場を活かして、寺子屋教師間での情報共有を活発に行なうように働きかけました。具体的には、メーリングリストに自分が感じている疑問を投げかけ他の寺子屋教師の助言を求めたり、良い指導ができた寺子屋教師には、何故良い指導ができたのかという要因や過程を説明してもらったり、塾講師経験者からは指導に関する情報・知識をシェアしてもらったりするなどをしました。
自分で課題解決を行なうことも勿論大切ですが、分からないのであれば「分からない」と発言し、分かる人が分からない人に教えるというような教え合いができる雰囲気を作り出したことが、私のリーダーシップであり葛飾拠点で果たした役割りです。指導経験がないことを自分の弱さとするのではなく、自分の強みとして捉えることで、自分らしいリーダーシップを発揮することができました。
− 中川さんにとって葛飾の寺子屋スタッフはどのような存在でしたか。

中川 常に自分に期待してくれた存在であり、鍛えてくれた存在でした。TFJは毎回の指導終了後、スタッフと寺子屋教師で、その指導が子どもにどのような影響を与え、どのような成果を生み出したのかなどのフィードバックを、重点的に行ないます。このスタッフからのフィードバックでは、厳しいことを言われることもありますが、自分の行動や課題を的確に指摘してくれます。今までの大学生活で、これほどきちんと自分を見て指摘し期待値を示してくれる存在に出会うことはありませんでした。葛飾の寺子屋スタッフは、フィードバックによる現状分析とともに、自分に課題や試練を与えることで、一回りも二回りも成長させてくれました。

4.寺子屋での指導についてお尋ねします。
− 指導を通じてどのようなことを学びましたか。

中川 これまで受けてきた教育や家庭の背景が異なる相手に、自分の想い・考えを伝えるにはどのようにすればよいのかということを常に考える中で、人に何かを伝え、信頼関係を築くまでのコミュニケーションをとることの難しさを実感しました。また、事前研修では様々なことを学びましたが、学んだことを実際に寺子屋の現場で実践することはとても難しく、頭で理解できていてもなかなか指導に反映することができませんでした。インプットした知識をしっかりとアウトプットできるほど自分の中に落とし込むには、まだもう少し時間がかかりそうです。
しかし一方で、子どもの個性や特性に即した指導を行なうことで、確かに子どもは変容するという手応えを得ることができました。例えば英単語の暗記方法に関して、自分が今まで当たり前だと思って行なってきた暗記方法が、担当する子どもには最適な方法でないと気付き、覚え方の指導を改善したところ、子どもの成長を実感することができました。子ども一人ひとりに適した指導を行なうこと、それは簡単なことではありませんが、本当にそれができたとき子どもは確かに変容するのだ、だから彼らの可能性を信じ続けることを忘れてはいけない、ということを強く感じました。



− では子どもに適した指導を行なうことで、子どもはどのような変容を遂げましたか。

中川 最初は面倒くさいというようなネガティブな言葉をよく発していましたが、根気強く指導をしていくことで、子ども自身が今勉強することの必要性・重要性を意識し始め、それを言葉にしたり行動にうつしたりするようになりました。寺子屋の初期ではできなかった、宿題をやってくること・宿題に丸をつけること・答えの見直しをすることを、今では自分なりのこだわりをもってやるようになりました。しかし、まだまだ変容できる部分はあります。冬季寺子屋では、子どもが自ら変容することを望めるように、そして、自分がその変容を秋季以上に期待しサポートしていく中で、具体的な結果を出させてあげられるように、頑張って指導していきたいです。

− 中川さんはどのような思いを抱き指導をしていましたか。

中川 私が担当した子どもは、自分の興味のある分野に対する探究心がとても強く、中学校や高等学校の教育ではなく、大学で活かされるような思考をしています。なので、今目の前にある学校のテストの点数だけで自分を判断するのではなく、自分の可能性を知ってもらいたい、そして、色々な出来事や出会いを通して、広い夢をもってもらいたいという思いを常に抱きながら指導をしていました。

5.最後となります。
− 寺子屋は中川さんにとってどのような場ですか。

中川 寺子屋は自分を変えてくれた場であり、今後の人生で困難なことに遭遇した際に立ち返ることができる場となりました。また、学びを与えてくれただけではなく、自分に期待しそれを実践するための役割を与えてくれた場でもあります。秋季寺子屋では、できるようになったことがある反面、まだできないこと・成長しきれていない部分が浮き彫りになりました。冬季寺子屋ではそのような部分をなくし、さらに成長できるよう全力を尽くしていきたいです。



指導経験がないことを自分の強みとし、「分からない」と勇気をもって発言した中川さん。そのような中川さんの行動が、葛飾拠点のチームワークを高め、結果として指導の質を向上させることとなりました。冬季寺子屋でも彼女らしいリーダーシップが発揮されることを期待しています。

Teach For Japan 学習支援事業本部

岡本 梓

社会に出たときに役立つ教育を―教師体験談 船登惟希(2010年サマープログラム教師)

今回の活動日誌では、Youth For 3.11の設立者であり、Teach For Japanの学習支援事業で指導経験のある、船登惟希さんをご紹介します。現在DeNAに勤務している船登さん。

寺子屋での経験、Youth For 3.11TFJとのつながり、現在の仕事から自身の教育観まで幅広くお聞きしました。



基本情報
船登 惟希(ふなと よしあき)
東京大学大学院理学研究科卒。Learning For All(Teach For Japanの前身)で知り合った仲間四人と学生団体Youth For 3.11を立ち上げる。
現在は()DeNAに勤務。著書は「宇宙一わかりやすい高校化学」など。
①勤務先での業務内容
・ショッピング統括部のマーケティング(ビジネス)
・ビッダーズ ネットでものを買うためのシステムを管理
・マーケティング
②趣味
・読書 ・本を書くこと
③好きな給食
・揚げパン


1、Teach For JapanYouth For 3.11での経験 

Teach For Japanを知ったきっかけ何ですか?
就職活動をしていたときに民間企業に興味が持てなかったので、「社会企業家」をキーワードにリサーチをしていたら、Teach For Americaを見つけました。
そこで日本版はないのかなと思って、ネットで「Teach For Japan」を検索にかけると松田さん(Teach For Japan CEO)のブログがでてきたので、面白そうだなと思ってコンタクトを取りました。
Teach For Japanではどのような活動をしたのですか?

最初は団体スタッフとして、各大学の支部を作る動きをしていました。
その後、2010年のサマープログラム(夏季の行われる短期の寺子屋くらぶ)で教師をしました。


―実際に現場を経験した寺子屋の良かった部分はでしょうか。
1つは教師同士の議論や研修を通して、問題解決のためのノウハウを知り、学んだことをすぐに現場で生かせるところですね。そこで自分が立てた仮説が正しいかどうか分かるのが良かったです。教師と子どもという人と人とで対話しながら進むため、フィードバックがすぐに返ってきます。自分が教えた子どもは、勉強にあまりやる気が無かった。11つ丁寧に解き方を教えて、解けるようになって褒めていくうちにやる気をだして来たんですけど、今度は調子に乗り始めて。()そこでちょっときつめに叱ったらすごく落ちこんでしまいました。…そこはあまり厳しく言わない方が良かったのかなと思います。五日間を終えて、子どもに集中力がつき、信頼関係が生まれました。



もう1つ、本当に良かったなと思うのは、寺子屋で一生つき合っていけるような仲間に巡り会えたことです。寺子屋では、よりよい指導のために自分が今までどのような教育を受けて生きて来たか打ち明けることも少なくありません。そういった自分をさらけ出す機会って普通の友達ではなかなかないし、教育という課題・分野を熱く深く語り合ってお互いにフィードバックして高めあえる。そこでまたリフレクションして次に生かす。そういった環境が寺子屋にありました。



Youth For 3.11について、Teach For Japanとの繋がりを教えて下さい。
Youth For 3.11の立ち上げメンバーに出会えたきっかけがTeach For Japanだったというのも1つなんですけど、Youth For 3.11のモデルも最初は若者が被災地に行って問題解決能力やリーダーシップを身につけるというTeach For Americaのものを取り入れようとしていました。しかし、現場で求められている人材とは元気で、言われたことを忠実に実行出来る人材であり、勝手なことをするとかえって迷惑になると分かり、そこで学生同士の価値観のぶつかりあいがありました。そこから「一つの目標に向かって行く」という意識を学生間で統一し、方向性を切り替えて、ハードルの低いプログラムを提供することを強みにして活きのいい大学生を集めてくるマーケティングの役割をするモデルに変えたのです。今のYouth For 3.11が外部から評価されているのは、ハードルの低いボランティアプログラムを提供し、学生が東京へ戻って来た際、被災地での学び、というよりは被災地に行ってショックを受けた人に対して、リフレクションを行い次に繋げられる場を設けていることです。そしてその仕組みはTeach For Japanから持って来たものでした。


2、今後のビジョンについて


―ご自身のキャリアの展望はいかがですか?

自分のキャリアとしては、独立しても今の会社にいても、当然組織として利益を求めるという点で変わらないと思っています。
自分はそこまで利益重視ではないので、会社にいるより独立した方が自由度はあるのかもしれないなとは思いますが。
独立にしても会社にしても、要はお金を生み出す仕組みを作ることが大切だと思っています。


―教育関係で何かビジョンを持っていますか?

今アジアでは公文式という日本の教育コンテンツが大ヒットしています。これが成功しているのも、地域に関わらず、適用出来るからです。レゴも創造性や空間把握能力がつくため、世界中で使われていますよね。今後やりたいことは、人間の本質を見極めた上で、幼児教育の分野をITに落とし込んで、創造力を鍛えられるようなものを作ってみたいです。

DeNAに入社してからは、具体的にこんな成長をした、というのはありますか?

一つの企画を考える際に、ユーザーのことをすごく考えるようになりました。
その結果として、人間の本質の理解が深まった。
また、企画を考える過程にロジック的思考が必要なので、非常に思考力が鍛えられたと思います。

3、日本の教育について

―今の日本が抱えている教育問題がなんだと思いますか?

無駄な時間を過ごしているなあと感じています。社会に出たときに求められる能力を全く教育できていない。勉強はあくまでもエンターテインメントではなく実学であるべきだと思うので、自分自身の経験からも、社会に出て必要な能力を学ばせてあげたい。インプットさせるだけではなく、アウトプットを併用した教育ができると良いと思います。

―それを踏まえたときに、教師に求められる能力はどのようなものだと思いますか?

問題解決能力ですね。本当の問題になっている部分を見極めて、それを解決するために行動を起こすことができる能力が求められると思います。
現状は起きている事象を表面的にしか捉えられていないし、考えても行動に移すことができていない。
課題に対してコミットして、一歩踏み出してアウトプットを出すことが必要だと思います。
アウトプットする過程こそが一番学ぶことができると思うので。
教育に興味がある人こそ、経営だったり政治だったりといった様々なことにアクションを起こすべきだと思います。
ほとんどの生徒が社会に出るので、その生徒たちに教育する教師こそ、さまざまな分野を学ぶべきだと思います。







編集後記
「学びに対して貪欲。」船登さんはそんな人でした。自分がインタビューの中でちらっと「「世界を変えるNPOの条件」という本は社会セクター版のビジョナリーカンパニーらしいですよ」と話すと、船登さんはちょっと待って下さいと言ってiphoneを取り出しすぐにAmazonで書籍を調べていました。そういった学びのアンテナの高さがとても印象に残っています。

Teach For Japan
木村喜生/岡本梓/平尾耕太郎

5年後も残り続ける文化を創る――新規拠点プロジェクトマネージャー矢野勇樹

今回のブログでは、4月より新規に立ち上がる拠点である立石でプロジェクトマネージャー(以降PM、特定プログラムにおける現場統括者)を務める矢野勇樹に、Teach For Japan、そして新規拠点に対する想いを語っていただきました。

profile

氏名:矢野勇樹
年齢:21
大学:青山学院大学
趣味:サッカー・読書・早起き
すきな給食:カレー・牛乳

Teach For Japanでの経歴】

2011年度 冬季寺子屋プログラム@九段下 寺子屋教師
2012年度 スプリングプログラム@北区 サブPM
2012年度 春季寺子屋プログラム@九段下 サブPM
2012年度 サマープログラム 研修開発スタッフ
2012年度 秋季寺子屋プログラム@九段下 再採用教師
2012年度 冬季寺子屋プログラム@九段下 サブPM
2013年度 春季寺子屋プログラム@立石 PM

















――Teach For Japanに関わろうと思ったきっかけはなんですか?

ある国際協力系のセミナーで、TFJの前身であるLearning For Allのスタッフの方にお話を聞いたことがきっかけです。その後説明会に参加し、関わることを決めました。数多ある学習支援の団体からTFJに関わることを決めた理由は三つあります。一つ目は、家庭環境の困難な子どもたちを対象としているから。二つ目は、人に何かを本気で教えるということを経験したかったから。三つ目は、説明会で話したスタッフの方がとても情熱のある方で、この人と一緒に活動したいと思ったからです。

――なぜ、家庭環境の困難な子どもたちを対象とした学習支援を選んだのですか?

中学の頃の親友たちの存在がその選択の契機です。彼らの家庭環境は非常に複雑でした。安定した家庭の無い彼らは年を重ねるにつれ人に暴力を与え、欲望のままに生き、非行に走っていきました。自分はそうした行動をとってはいけないと直感的に思いました。しかし、親友たちを引き戻すことはできなかったし、しませんでした。その親友に嫌われるのが怖く、人を傷つける言動や自分自身を傷つける行動にも、NOを突き付けることができなかった。彼らが自らレールを降りていくのを、「自分はこうなってはいけない」と漠然と思いながら、嫌われない距離感を保ち続けるだけでした。何もできなかったし、何もしなかった。学校の先生たちも「あいつらはもうだめだから」と見切りを付けてしまっていて、最後には親友のうち2人が学校内での事件により退学処分になってしまいました。この経験から、こうした境遇の子ども達が学ぶことを諦めないように教師という立場で子ども達と関わりたい、家庭環境に困難のある子どもたちの人生を変えたいと思うようになったんです。


――Teach For Japanのビジョンと、矢野さんのビジョンは非常に深く結びついていますね。

 だからこそ、今もこの団体に関わり続けています。自分自身がやりたいことと団体のやりたいことが一致していると感じています。
 また、一緒に頑張るスタッフの本気の姿勢が大好きなことも関わり続けている理由の一つです。「子どものため」という共通の目的をもって、賞賛し合ったり、強い指摘をし合ったり、常に本気で情熱をもってお互いを励まし合う。その本気の姿勢が実際に子どもの結果に少しずつ繋がっているので、まだまだ自分も力になりたいと思い、団体に残っています。

















――では、新拠点でPMになることを決めた理由はなんですか?

 この「寺子屋くらぶ」、そしてTeach For Japanという団体が挑戦をさせてくれるからです。これまで団体の活動では、現場での業務と研修開発の業務を掛け持ちさせてもらったり、説明会でプレゼンする機会を与えてもらったりと、挑戦することを何度も繰り返してきました。
挑戦することで何倍も成長できたという実感があります。だから「新拠点の設立」という団体の挑戦に携わり、自分を大きく成長させたい、団体を大きく成長させたい。そして成長した結果、子ども達により良い学習支援を届けたいと思い、PMとなることを決めました。

















――新規拠点のPMとして、達成したいことはなんですか?

 たくさんあります。今は拠点運営スタッフと達成すべき目標について議論を重ねています。究極的には、そこで話し合った目標をすべて達成することです。まずは、子どもの学力向上という学習支援として求められる結果を必ず達成したいです。次に、1年後、5年後も残り続けるような拠点の文化を創りたいです。期を重ね、人が変わっても持続的に子どもたちに結果を残せるような文化を創ります。
そしてまた新たな新拠点を設立することがあった際、規範となれるような拠点創りを達成したい、そう思っています。

――そのために矢野さんは、どのように振る舞おうと考えていますか?

 本当に大事にしたいことを実現するために最適な行動をとり続ける人間になりたいと考えています。また、常にビジョンを体現し続ける、強い思いと一貫性のある行動規範を持った人間であり続けたいと思っています。
子どもにとって最高の結果を実現したいんです。これまでに保護者の方との様々な対話をしました。そこで、子どもが変われば親も変わることを知り、子どもが寺子屋くらぶで過ごす時間が本当に重要であると痛感しました。だからこそ結果を出したい。そのためには、自分自身を変え続け、成長していかなければいけないと感じていますし、強い思いと一貫性のある行動が不可欠だと思っています。

――では、最後に、新たに教師として寺子屋くらぶに参加する教師の皆様へのメッセージをお願いします。

子どもの可能性を信じ続け、子どもへの情熱を持ち続ける人であってほしい。どんな子どもでも「できるようになりたい」と心の底では必ず思っています。新たに教師として参加する皆さんには、子どもを変えたいという情熱、自分を変える強い覚悟をもって子どもと向き合い、子どもを変えるために自身と向き合い続け、自分自身を変えてくれることを期待しています。
私は「最高の学習支援」を創りたい。その仲間として一緒に「子どものため」を追求し続けることに貪欲に取り組んでいきたいです。
情熱ある皆さんのご参加をお待ちしています!



















ありがとうございました。
寺子屋くらぶは、こうした強い想いを持ったスタッフ、そして教師によって運営されています。
PMとして、人が変わっても子どもに結果を与え続けることのできる拠点を創り上げてほしいと、切に感じております。

皆様とともに活動できることを心待ちにしております!


学習支援事業本部
山本健人